夢も希望もあるのだが

タイトル通り、夢も希望もあるけど無味乾燥な日々を淡々と生きようとするブログです。

ペットを家族に迎えたことはないのだが

今週のお題#ペットを飼うこと

 

 さて、前回書いた無意味な作業もひとまず落ち着いた(終わったとは言っていない)ので、再び更新していこうと思う。

 

 お題になっているペットだが、そもそも自分は哺乳類のペットを飼ったことがないので、発言資格はないかもしれない。そんなことを言うと「マニア」なペットを飼ってらっしゃる方からお叱りを受けるかもしれないが。

 

 自分が飼ったことがあるのは昆虫類・甲殻類・魚類など、比較的マイナーに入るもので、わんぱくキッズあるあるの残酷さで適切な餌やりやケアを怠り、ソ連の収容所のような環境の中でどの種も餓死やストレスで死んでしまった。今となってはそもそもその種の生き物を飼おうとすら思わないが、子どもの命に対する無責任さは恐ろしい。

 

 今や自分が大人になって、犬や猫など大きめの哺乳類を飼っている人を見ると、大体の場合は幸せそうだなと思うし、前世紀には(良きにつけ悪しきにつけ)子どもが確保していたのであろうポジションに座っているペットの側もおそらく幸せなのではないだろうか。犬は従順だが猫はそっけないとか、うちのミーちゃんはから始まる個体差とか、そういう面も含めて共生関係が基本的には成立しているように見えるし、「ペットを飼う暇があったら子どもを育てろ」とか、「異種族に愛情なんて注いでバッカじゃないの」みたいな言説には反対である。

 

 ただ、避難する訳ではないのだが、ペットを飼っている人々がどう折り合いを付けているのか気になるのは去勢をめぐる問題である。去勢しないと発情期に手がつけられなくなるのだろうし、外飼いにする場合は勝手に子どもを作られると生まれた子どもも不幸になることは承知している。よく知らないが、おそらく飼い犬/猫を去勢するのはある種のマナーとして、少なくとも「良い」の飼い主の皆さんには定着しているのではないかと思われる。

 

 しかしこれは人間の場合は全く当てはまらない。「旦那を去勢したい」と言うのが一部の界隈では冗談としてあるらしいが(本当にやったら阿部定である)、思春期の息子が暴れるので宦官にしましたとか抗男性ホルモン剤を打ちましたと言うのは流石に令和日本では通じないだろう。そこには親に子どもの保護観察責任があるといえども、独立した人格を持つ(これから持つ)子どもに対してその身体をいじくり回したらダメよというルールがある。

 

 ところが飼い主の場合は動物自身の身体の尊重より保護観察責任の方が明らかに勝るのであって、ここには明確な人間優位の構造がある。しかし、ペットを飼っていない自分の見聞きするのは「ペットは家族」と言う言説で、この構造と言説は自分の肌感覚には合わない。

 

 とはいえ、自分はアニマルライツ至上主義者ではないので「去勢なんてやめろ!」とは言わないし、皮肉屋でもないのでペットを家族の一員と思っている人の気持ちを疑っている訳でもない(嫌がってるのに服着せちゃうのは流石にやめたげなよ、とは思う)。ただ、自分からすると欺瞞に見える人間優位の構造を「家族の一員」という言説に回収する時に、どのような折り合いを付けているのだろうと気になっているだけである。

 

 ただ少し飛躍したことを言えば、嬰児よりもよっぽど「人格」を持っているペットに対してこうしたことが起こるのであれば、デザイナーズベイビーなど、現代のモラルでは(おそらく)受け入れられないことも、数世代先はどうなるかわからないと思わされる。そしてそれ自身も時代の流れなのでいいも悪いもない類の話なのだろうと思う。

 

 ここまで読んでご不快にさせてしまっていたらすいません。所詮は若者の戯言です。