夢も希望もあるのだが

タイトル通り、夢も希望もあるけど無味乾燥な日々を淡々と生きようとするブログです。

年を取ると読み方も変わるものだが

今週のお題「好きな小説」

 

 読書の秋、という割にはまだ暑すぎる気がするのだが、それでも聞かれたからには答えねばなるまい。最近はそれほど小説を読む量も減ってしまっているのだが、それでも印象の強い小説といえば武者小路実篤の「友情」である。

 

 正直文体のあれやこれやを語れるほど日本文学に精通しているわけでもないし、読んだのは遥か彼方なので、このシーンがどうこうというところもほとんど覚えていない。ただ主題としては高い目標と友情と愛情の間で奮闘する青年のストーリーで、特にサクセスストーリーというわけでもない。次の段落からネタバレを含んだ感想を述べる。

 

 要するに、「友情」は大正期に書かれたBSS(僕が先に好きだったのに)小説である。片思いしながら作家になるぞ! と思って頑張っていた主人公は、友達(彼のほうが才能があったはず)と切磋琢磨しながら執筆に励むのだが、友達の方が立身出世して当時の文化の最先端であったヨーロッパへ行くことに成功し、なんだかわからないが片思いしていた女性もヨーロッパへ行っており、その二人から「結婚しました。隠してたわけじゃないんだよ、ごめんぴ♡」みたいな手紙が来て、主人公がブチギレて絶望するという内容である。

 

 したがって、昔の文学は優れているという偏見を取り去ってみれば、本屋には似たような主題の小説から漫画までゴロゴロ転がっていることだろう。なので、自分としても、意外な結末なのでぜひ読んでほしいとも、美しく流麗な文体を堪能してくださいとも言えそうにない。

 

 しかしなぜこの小説が自分の記憶に残っているかといえば、おそらく高校の終わりごろか大学の初め頃に読んで、当時の目的もなく恋もしていないけど、そのどちらにも漠然とした憧れがあった自分にとって、自分が経験しうるものとして印象付けられたからだと思う。もしこの小説を今あらすじを全く忘れて読んだとすれば、ある程度主人公に重ね合わせられる人生経験があって、少し感傷的になる程度で、それほどおもしろいとも思わないだろう。

 

 と思っていたが、人の感想文を読んでいると、おとなになって読めば主人公がいかに底の浅い人間かということが描かれており、それを受け止めるだけの深みが当時の自分にはなかったのかもしれない。

 

note.com

 

 それほど前ではないのかもしれないが、当時の自分は自分の人生というものはまだ途方もなく飛翔を続けるものだと思っていた。今は、自分の人生は上向くかもしれないが、道がつながっているところまでしか行けないのだ(道がつながってさえいれば可能性はあるのだ)ということをよくよく了解できた気がする。であるからして、主人公の挫折というものも、当時は「きっと痛いのだろう」くらいの感覚だったものが、今きちんと覚えてないながら小説の内容を振り返ると、「ああ、この人の道は塞がってしまったのだ」という強い同情心に変わっている。他方で、これからも頑張れるだろうという励ましの言葉の一つもかけたくなる。年を取ると読み方も変わるのだろう。また時間が空いたときにでも読んでみたい。

 

 最後に主人公のセリフを引用して終わる。

 

自分は寂しさをやっとたえてきた。今後なお耐えなければならないのか。全く一人で。神よ、助け給え。