夢も希望もあるのだが

タイトル通り、夢も希望もあるけど無味乾燥な日々を淡々と生きようとするブログです。

関西が憎いわけではないのだが

お題「思い出の食べ物はありますか?」

 

 思い出の食べ物なのか食べ物の思い出なのかわからないが、思い出した話を一つ。お好み焼きについての話である。自分は関西出身なので、以下の文章においては特に理がない限りは「お好み焼き」は「関西風お好み焼き」を指す(この声明自体が関西人諸氏の神経を逆なでする気がしないでもないが)。

 

 自分は関西出身で、お好み焼きを食べて青年期までを過ごした。ひょんなことから関東で大人数が参加する打ち上げに参加する機会に恵まれた。そしてなぜか、その会はお好み焼きレストランで開催されることになった。

 

 自分の席には自分以外にも5,6人座っていたともうのだが、関西(というか近畿)出身者は自分ひとりであった。捏造かもしれないが、お好み焼きを食べたことがないと言っていた人も意た記憶がある。飲み物が配られた後和やかに雑談は進んでいったのだが、いざお好み焼きを焼く段になって問題が発生した。

 

 自分の中ではお好み焼きというものは、まず豚肉や海鮮と言ったメインとなる具材に火を通し、その上にキャベツと絡めた生地をおいて、時折ひっくり返したりしながら適切な時間加熱調理するものという認識であった。しかし、店側からの説明は特になく、特に知識のある人もいなかったことから、まあ、なんとなくこうでしょうという感じでお好み焼きの調理が始まった。

 

 しかし、彼らの手さばきを見ていて、私の中に「そうではない!」という気持ちが浮かんでくるまでにはそれほど時間がかからなかった。生地を先に焼くな。肉を混ぜ込むな。鉄板の端は火が弱いのでそこで焼こうとするな等々。結局、どこかで我慢の限界に達した私は、「貸して」の一声とともにその晩は「お好み焼き奉行」と化してしまった。

 

 それまで、自分の出自というものを考えたことは特になかった。東京に出てきて街の大きさには驚いたものの、近畿が要する大都会大阪市に比べて質的に全く異なるわけでもなく、標準語にはテレビを通じて親しんでいたため、言語の差を感じるということもなかった。

 

 しかしその晩には、お好み焼きという自分にとってもそこまで好きではなく、ただ幼少期から食べてきただけの食べ物によって、ここまで自分が周りの人々と全く異なる出自を持っていると思い知らされてしまったのだ。

 

 さらに言えば、別にこの話を通じて近畿出身であることを誇りに思えるようになったということもない。どちらかといえば、他の人と同じお好み焼きの調理方法がわからない当惑や「まあいいや」感を共有できないことへの疎外感の方が強かったくらいである。

 

 ということで、未だにお好み焼きを目にすると、「自分は結局関西人なのだなぁ」という気持ちが、どちらかというとネガティブ方向で生じてしまう。そんな思い出の食べ物、お好み焼き。