夢も希望もあるのだが

タイトル通り、夢も希望もあるけど無味乾燥な日々を淡々と生きようとするブログです。

結婚式について考えさせられたのだが

 ここのところ、縁あって立て続けに2度友人・親族の結婚式に参列してきた。どちらも立派な式で、当人や家族にとっては非常に目出度いことである。その幸せの「おすそわけ」を得られたことは非常に喜ばしいことだと思う。

 

 他方、その二組の結婚式が非常に似通っており、明らかに「結婚式のモデル」に沿ったものであったことに驚愕した。どちらも結婚式場で行うチャペル・ウェディングで、片方は人前式、もう片方はキリスト教式でありながら、新郎と母のジャケットセレモニー、新婦と父のバージンロードウォークに始まり、披露宴の最後には新婦から父への手紙で終わるという大体の流れを共有していた。これは自分には、「二人が主役」であり、本来はそれぞれの特色を持ってもおかしくない結婚が、その実かなりオリジナリティの入る余地がない式になってしまっているという矛盾のように思えた。そこで、本稿では「なぜ結婚式は上記のような形式になっているのか」という話を考えたい。

 

 ここで思考の枠組みとして、「ティンバーゲンの4つのなぜ」を導入する。動物行動学者であるティンバーゲンにちなんで名付けられたこの枠組みは、動物の(社会)行動を説明する際に用いられ、「その形質はどのような機構が可能にしているのか(メカニズム)」と「その形質は個体の成長の中でどのように備わるのか(発達)」からなる至近要因と、「その形質は進化の中でどのように変化・伝達されてきたか(系統発生)」と「現在の環境においてどのように『得』なのか(機能)」からなる究極要因に分けて考えようというものである。なお、Wikipediaの記述にもあるが、至近・究極というのはネーミングの問題であって、至近要因より究極要因のほうが大事というわけではない。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%81%AE4%E3%81%A4%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%9C

 

 さて、このうちでもっともわかりやすいのは「メカニズム」であろう。自分が参列した二組の式はどちらも結婚式場での開催だったのだから、そこには当然ウェディング・プランナーをはじめとしたブライダル業界の大幅な関与があったことは明らかである。また、結婚式はオプションにつぐオプションの嵐であるので、カップルの予算という制約も働く。つまり、結婚式の内容は予算が許す中で、ベーシックなプラン+オプションとして追加する内容を選択するというという形で成立するのであり、そもそも式場・コーディネーター側が用意したオプションの枠内でしか多様性はないことに加えて、自分が参列した式はどちらも年若い夫婦のものであり、予算の部分に大きな差がない(桁が一桁も二桁も違うということはない)のだから、似た式になるのは当然とも言える。

 

zexy.net

 

 次に「個体発生」について考えたい。そもそもなぜ新婚カップルは結婚式を挙げようと思うのか。「周囲が挙げているし、自分たちも挙げたい」という考えを持つという発想はトートロジーにしかならないので置いておくとして、所謂結婚式=二人の幸せというイメージの形成にはメディアの影響が大きいだろう。特に業界シェアが大きいゼクシィについては、彭永成という京都大学の研究者が博士論文を書いている。全文は読めないが、要旨の一部を引用すると、

 

そのプラットフォームで構築された理想イメージは、花嫁が「ヒロイン」として結婚イベントを主導する女性優位イメージをますます強化してきた。こうして結婚式におけるジェンダー関係の演出をその後の結婚生活から切り離し、全面的に女性化したロマンティック・ラブのイデオロギーに掉さすことで、「ゼクシィ神話」は保たれている。

repository.kulib.kyoto-u.ac.jp

 

 とある。ここでいうゼクシィ神話は「若い、結婚、幸せ」というイメージであり、90年代の終わりから業界で勝ち残ってきたゼクシィが戦略的に用いてきた広報手段である。こうしたゼクシィが提供するイメージを具現ができる現代の30歳以下の若い世代は、この「ゼクシィ神話」が一定程度影響力を持つ中で育ってきたことを考えれば、そうしたイメージを内面化していてもおかしくない。ここ30年間、結婚式について「ゼクシィ神話」に対抗できるようなイメージや表象は生まれなかったとも言えるかもしれない(これは系統発生とも関係する)。

 

 次に系統発生である。そもそも日本で結婚式自体が盛んになったのは1900年の大正天皇(当時は皇太子)の(神前)結婚式以降であり、現在のようなチャペル・ウェディングが主流になっていくのは80年代以降である。チャペル・ウェディングが主流になってきた理由として、メディア研究者の長谷川功一は家制度の衰退、ハリウッド映画の影響、松田聖子も含めた著名な芸能人の教会結婚式の影響という3つの影響を挙げている。結婚式のイエとイエを結ぶ「公的な儀式」という役割が後退し、恋愛結婚について結びついた二人の「私的セレモニー」としての側面が全面に出てくる中で、憧れの対象であった芸能人やハリウッド映画をモデルとした結婚式が形作られるようになった。

 

nagoya.repo.nii.ac.jp

 

 ここまでの話を合わせて考えると、以下のようにまとめることができる。80年代以降、「憧れのハリウッド映画・芸能人の式のような華やかな式」を選択するカップルが増加する中で、サービスの提供側もそうしたニーズに合わせた商品を世の中に送り出すようになった。特に2000年代以降は「若い、結婚、幸せ」というゼクシィ神話が結婚式のモデルを席巻したことで、新婦を中心としたロマンティシズムあふれるパッケージ化された結婚式が提供されるようになる。またこうした結婚式のイメージがゼクシィ等のメディアを通じて拡散されたことで強化され、消費者(カップル)の側もこうした商品を受容することを当然視するようになった。これで「なぜ結婚式は上記のような形式になっているのか」については、いちおうは問いに答えた形になる。

 

 仮にこのような流れが本当だったからといって、自分は結婚式を挙げるカップルはメディアに踊らされる愚かな消費者だとして非難したいわけではない。自分だってコンビニの新作スイーツはそれが流通側の戦略だとわかっていても買ってしまうし、何よりも式を挙げることはそれぞれのカップルの選択なので、結婚もしていない自分が当事者の事情も顧みずにあれこれ言うことはほとんどが的はずれであろう。以上の分析はあくまでも自己満足だ。

 

 むしろ次に自分が考えたいのは「なぜそのような結婚式を挙げるのか」「結婚式を挙げることにはどのような『得』があるのか」という「機能」の問いである。というのも、結婚式の費用的な負担は、特に若いカップルにとってはとても重いもののように見えるからである。ゼクシィの調査によれば、結婚式やハネムーンを除く結婚式単独でも平均費用は327万である。これは20代の年収平均中央値が330万円、30代でも400万円であることを考えると1人分の年収分の費用であり、収入の10%を貯蓄に回したとしても二人がかりでざっくり5年はかかる計算である。さらに、日本においては育児は結婚後に始まることを考えれば、結婚後にはよりお金が必要なライフイベントが増えることはあっても減ることはない。結婚式を行わないほうが経済的には合理的なように見えるが、それでも結婚式を行うことにはなんの合理性があるのだろう。前述の通り、昔であればイエとイエを結ぶ役割があった結婚式は、主催者も新郎新婦というよりは両家が主体であったと思われるので、新郎新婦にとっては費用負担が少なかったものと思われる。しかし現代においては主催者は新郎新婦なのだから、実家から援助をもらって行うことは難しくなっているであろう。

 

zexy.net

 

doda.jp

 

 一つの仮説は、「結婚式は結婚関係の維持に寄与している」というものだ。アニヴェルセル総研の調査によれば、初婚が続いている人の間で結婚式をあげた(結婚式・披露宴をともに行った)割合は57%であるが、離婚経験者の間では32%にとどまった。日本の離婚率は35%程度らしいので、それぞれを60%、30%、33%(三分の一)として、仮に30ペアを想定した場合以下の表のように整理される。このとき、結婚式を挙げなかったカップルの離婚率は7/15=約47%だが、結婚式を挙げたカップルの離婚率は3/12=20%にとどまる。離婚する確率が半分になるなら、結婚関係にとどまるための投資としての数百万は悪くないという考え方もできるかもしれない。心理的なメカニズムとしても、「せっかく大金を払って/みんなの前で誓ったのだから」というコミットメントが(埋没費用だとしても)意識されるのかもしれない。

 

www.anniversaire.co.jp

ricon-pro.com

 

 もちろん、この推計はかなり適当というか、本当に「結婚式を挙げれば離婚率は下がる」を論証しようとすれば突っ込むべき点は多数ある。まず、結婚式を挙げるか挙げないかと離婚するかどうかには、両方に関係する他の要素(例えば、金持ちは結婚式も挙げやすいし離婚もしにくいなど)があるかもしれない。また、アニヴェルセル総研は名前からして結婚式推奨の立場なので、本当にフェアな調査が行われているかはわからない。しかしまあ、例えば社会学者なら検討していてもおかしくない話題だなとは思う(というか絶対されていると思うので、単純に自分のリサーチ不足である説が濃厚だ)。

 

 さらに、そもそも結婚にとどまることは果たして『得』と言えるのかという非難も考えられる。多様性と自由な選択が尊ばれるこの時代に、明らかに機能しておらず、当人(同士)も不幸せに感じているカップルが居た場合、敢えて婚姻関係にとどまるよりはいっそ別れてしまったほうがお互いのためという場合も考えられる。しかし、日本においては結婚後に育児が始まること、さらにシングルマザーへの世間の理解やサポートが十分ではないことを考えると、子どもを安定した環境で育てたいと考える母親にとって、(あくまで現状の社会制度下における暫定的最適解として)婚姻関係を維持することが重要であり、離婚率を下げる効果がある(という仮説を紹介した)結婚式は、その後のライフプランを考えるとたとえ経済的な負担は大きくても挙げておくことが望ましいという可能性はある。

 

 またそもそも結婚式におけるジェンダー表象は問題含みでしょうという指摘もありえる。新郎父と新婦母は捨象されがちだし、父親から新郎への新婦の引き渡しなどという仕組みは所詮家父長制の名残でしかないし、いくら結婚式を新婦中心にプロデュースして主体性を発揮したところで、その後の結婚生活において男は外、女は内という考えは未だに残るところには残ってしまっている。もっと言えば、そもそも経済的に結婚式を挙げたくても挙げられないカップルはどうなんですかとか、結婚式場自体から拒否される場合がある同性カップルとか、そもそもパートナーを持たない「おひとりさま」が結婚式に参列して受ける心の傷や社会的圧力はどうすればいいんですかとか、ツッコミを考え始めるときりがない。なのでここで本稿を閉じようと思う。

 

 以上の考察はあくまでもお遊びであり、結婚(式)を推奨するわけでも否定するわけでもない。単純に自分の経験からスタートして、結婚式の意味について自分なりに考えたことをつらつらと書き連ねたのみである。呼んでもらった結婚式で新郎新婦を祝福する気持ちが高まるついでに、飲んだ酒の故に少々筆が滑った以上の意味はない。